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藤原ヒロシ INTERVIEW

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「他所にないものを作ったらいいんじゃないですか?」
数々のコラボを成し遂げてきた藤原ヒロシが語る本質。

『UNDERCOVER』や『A BATHING APE®』、『NEIGHBORHOOD』といったブランドに代表される裏原系カルチャー。90年代に巻き起こったユースカルチャーだが、今でも当時のことは鮮明に思い出されるし、30、40代になってなお、熱狂していた頃の燃え上がる気持ちを取り戻させてくれるワードだ。そんな裏原系カルチャーを牽引し、ストリートファッション業界では当時頂点と称されたブランド『GOOD ENOUGH』のデザイナーを務めていた藤原ヒロシ氏(余談だが、当時『GOOD ENOUGH』は誰が手がけているか一切公表していなかったが、ファンの間では藤原ヒロシ氏がデザイナーという説は都市伝説的に広まっていた)。90年代にストリートカルチャーに心酔していた、現在30、40代の男性にとって、“藤原ヒロシ”がカリスマだったのは言うまでもない。黒のビブラムソールしかなかったレッドウィングアイリッシュセッターを白ソール(クレープソール)に張り替えて雑誌で紹介し大ブレイクさせるなど、とにかく藤原ヒロシ氏が持っているアイテムや、言及したものが市場から次々となくなる現象が起こっていたのだから、カルチャーに対しての影響力のすごさが分かるというもの。
藤原ヒロシ氏とは一体何者なのか。その活躍はデザイナー、ミュージシャン、クリエイターなど一つの枠には収まらないマルチぶりだが、同氏は自らを肩書きで縛ることをしない。“藤原ヒロシ”はあくまでも“藤原ヒロシ”でしかないというわけだ。
ファッション業界において、世界的な影響力を持ち、“キング・オブ・ストリート”とも称される藤原ヒロシ氏。ストリートカルチャーから、現在ではハイブランドとのコラボレーションまでやってのける同氏に、“カルチャー”というキーワードを柱に、コラボレーションの基準、世界で評価されるものに共通する部分、街の変化など、さまざまな質問をぶつけてみた。

 

自分が欲しいものを生み出すのに
力を借りることがコラボの原点

—藤原ヒロシさんは僕ら世代にとって、コラボレーションというイメージが強いのですが、コラボを仕掛けるきっかけはなんだったのでしょう?
藤原ヒロシ(以降、藤原) 82年にニューヨークのティファニーに行った時に、ロレックスやモンブランのアイテムが店頭に並んでいたんです。その理由を聞いてみると、ティファニーが認める一流のブランドにオーダーして、刻印を付けて販売していて。「そういうやり方があるんだなぁ」って。それが印象に残っていたから『GOOD ENOUGH』でバッグを作る際に普段僕も使っていた『PORTER』にお願いしたんです。当時、『PORTER』は『COMME des GARCONS』のバッグを別注で作っていたりもしていたから。すでに良いものを作っているメーカーがあるなら、そこにお願いした方がベターという考え方ですね。
―コラボを仕掛けていくなかで、なにか基準みたいなものがあるのでしょうか?例えば、これとこれをコラボさせたら面白くなるな、とか。
藤原 コラボそのものには面白さとか、そういったものはないと思うんですよね。どういう基準でコラボしているかっていう点でいうと、根本にあるのは、自分が純粋に欲しいと思えるかどうかだけですね。実はコラボよりもアイテム単体に力がある良いものを探す方が個人的には好きなんですよ。ただ僕らがやっているデザインプロジェクト『fragment design』は自社でなにかを作るブランドではないからですね。結果としてブランドや企業とコラボするという形で、いろいろなものを生み出すことになっている。

 

メジャーとマイナーのちょうど中間
そんな立ち位置でこれからもいたい

―藤原さんはさまざまなコラボレーションを含め、ストリートカルチャーの中心にいる人というイメージを抱いているのですが、ご自身でカルチャーを生み出してきたという感覚はありますか?
藤原 自分ではそんな風には思わないのですが、「裏原系」というカルチャーっていうものが世の中に何かしらの影響を与えたというならば、やはりそれもコラボが大きな部分を占めているのでしょうね。
—ハイブランドとは対照的な藤原さんたちのプロジェクトが、当時の若者たちには新鮮で、憧れでした。世界的なハイブランドをメジャーとするなら、ご自身のプロジェクトはマイナーに分類されるといった意識を当時持たれていましたか?また、もしメジャーとマイナーという明確な分類があるとお考えなら、境界をどのように定義されていますか?
藤原 スタンス的にはメジャーとマイナーの境界はないと思っています。ジョニオ(UNDERCOVERデザイナー)やNIGO®(A BATHING APE®創業者)と一緒に、夜中にアパートの1室で遊びながらTシャツ作っていた頃と同じ考え方ですよね。最初はそんな風に友人たちと遊び感覚で個人的に始めたもので、みんな同じレベルだったからこそできたことです。僕は決してメジャーになりたいとは思っていません。今でも、メジャーとマイナーの中間ぐらいの立ち位置にいられたらいいな、と思っています。

—一方で、現在ではルイ・ヴィトン、モンクレール、ナイキ、スターバックス、タグ・ホイヤーなど世界的なブランドや企業とのコラボも目を引きます。そういったブランド、企業から声がかかったとき、やる、やらないのジャッジが藤原さん的にあるのでしょうか?
藤原 いろいろなしがらみでどうしてもそうなるのですが、僕が今まで手がけてきた商品と同じジャンルではない商品という点がマストになってきますよね。例えば特例でブランドとして競合していても、まったく違うアイテムがコラボ対象で、面白そうであればお受けすることもあります。ただ、そういった世界的なブランドや企業と一緒に仕事をする上で気をつけているのは、自分たちも含めて、コラボアイテムを世に出したときに、しっかりお互いのブランド力を維持できるかという点です。コラボアイテムばかりが話題になってしまっては本末転倒ですから。また、企業が相手だと、僕のやりたいことが100%できるかというとそれは違う。僕らの方からデザイン的な観点を重視して提案しても、相手に求められないときもある。もちろん相手が言っていることも分かるので、押したり引いたりしながら、形にしていきますね。そういった点では、友達と一緒に遊び半分でやっていた頃とは違う部分になるでしょうね。

—『fragment design』として生産できる体制を整えた方が、自由度が高い気もしますし、ビジネスとしてさらに伸びていく気がしますが、その点はいかがでしょう?
藤原 会社として事業を拡大させるとか、僕はビジネスとして考えていないんですよ。むしろいろいろ大きくしたくない。組織として大きくなっていくと喜びもひとしおかもしれませんが、その分ストレスも増えるでしょ(笑)。『ザ・コンビニ』といったポップアップストアを手がけたのもそんな理由。やっている方も「まずは半年間」といった感じで、気軽にできるし、物件を貸す側も絶対そっちの方が効率がいいと思うんですよね。ちょっと前に某ホテルに入っている飲食店がホテル内で不利な場所に移転になったとかでニュースになっていましたが、それのなにが不服なんだろうって思っていて。条件の良い場所にもっと魅力的なショップができるなら、そっちの方が利用者にとっても刺激があるし、話題にもなる。僕はそれが当たり前と思ってやってきたので。

 

世界で認められるものって
日本らしさをあえて出さない

—福岡は今、市街地の各所で巨大開発が進んでいます。藤原さんは裏原宿という言葉を生み出したパイオニアと世間で認知されていますが、街の変化がカルチャーに影響を及ぼしたと感じたことはありますか?
藤原 街が変わったからといってカルチャーにまで影響を及ぼすことは日本にいて感じることはあまりありませんが、海外とかだと古い街並みの中にいきなり近代的な建物が現れたりすると、生活という意味でのカルチャーに変化はあるのかなと思います。ただ、変化が別に良いわけじゃないし、先端でもない。一昔前はニューヨークやロンドンといった街にストリートカルチャーも影響を受けていましたが、もうそんな時代でもない。日本に存在する良いものを世の中へと発信していくべきだと僕は考えます。

—藤原さんにとって、それは伝統工芸とかクールジャパンとかではないですよね、きっと。
藤原 はい。そういう考え方で、日本から日本っぽいものを発信するのは違うと思う。洋服はまさにそうじゃないですか。『UNDERCOVER』や『COMME des GARCONS』は日本的な美や伝統とかで勝負しているわけじゃない。

—世界的に評価されている日本のものに共通するコアを藤原さんはどう捉えていますか?
藤原 インターナショナル感だと思います。“フロムジャパン”じゃなくて、ちゃんと世界で認められて、後から「あ、これって日本のものなんだ。そういわれてみれば繊細だし、日本らしさもどことなく感じるね」とか、そんな風に認知されるべきなんですよ。クールジャパンみたいに、国としてプッシュしなくても、世界中の誰が見ても良いと評価されるものは、自然と世に出ていく。

—確かに!みんなが思っている以上に日本はインターナショナル化しているというわけですね。そういった視点でいうと、福岡など地方都市は藤原さんの目にはどう映っていますか?
藤原 それは東京と比べてですか?であれば差はないでしょう。僕らも東京を拠点にこんな仕事をしていますが、行くところは限られていますし、福岡の天神で仕事しているのとあまり変わらないんじゃないですかね。強いて言うならその場所に行かなきゃ体験できないものって食べ物ぐらいでしょうか。この前、福岡で食べた“しるこシェイク”は絶品でしたね。

—しるこシェイク?我々もそれは知らないような…。どこでしょう?
藤原 中洲ぜんざいっていう店でした。しるこシェイクって僕が勝手に呼んでいるだけなので、正しい名称ではないと思いますが。なんだったら表紙も僕じゃなくて、しるこシェイクにした方がいいんじゃないですか(笑)。

“藤原ヒロシ”は“藤原ヒロシ”でしかないと冒頭でも述べたが、インタビューを終え、その考えはより確固たるものとなった。インタビュアーに迎合することは一切なく、なければ「とくにないですね」、興味がなければ「別に」。でも、これが僕らの憧れだった藤原ヒロシで、このスタイルに心酔したのだ。
最後に福岡の話題にふったときが一番笑顔を見せてくれたのが新鮮だったが、実は一番印象に残ったのは、インタビューの途中でふと口にした「東京とかにないものを福岡に作ったらいいじゃないですか」というシンプルなメッセージ。他所にないものを新たに作るということを、90年代からずっとやってきた同氏だからこそ、何気ないこの言葉にすべてが凝縮されているように感じた。

PROFILE

[ ふじわら・ひろし ] 1964年、三重県生まれ。高校時代からパンクに心酔し、1982年、クラブイベントのファッションコンテストに優勝し、渡英。ロンドンにおよそ1ヶ月半滞在し、セックス・ピストルズのプロデューサーとして知られるマルコム・マクラーレンらと交友を持ち、その後拠点をニューヨークに移す。帰国後は日本におけるDJのパイオニアとしてその名を知られるようになるなど、現在同氏が活躍の舞台とするファッション業界が本流というわけではなかった。常に身軽で、ジャンルもボーダーレス、本流のバッググラウンドがないため何物にも縛られず、コラボレーションではとにかく自分自身が欲しいと思うものを作る。そのどこにも属さないスタンスは世界中のファッション関係者やイノベーターを魅了し、強い影響力を持ち続けている。現在はデザインプロジェクト「fragment design」を主宰し、ストリートカルチャーから、世界的なハイブランドや企業まで、コラボレーションの活動は多岐にわたる。

BOND 編集部

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