九州・沖縄発 一流のオトナを諦めないあなたに贈るフリーマガジン変革をあきらめないオトナたちへ BOND

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井上康生 INTERVIEW

古い価値観の中で歩んだ自身の柔道人生を糧に
変革に挑み続ける、次世代のリーダーの理想像
男子柔道日本代表監督/井上康生

2000年のシドニーオリンピック男子柔道100kg級にて、オール一本勝ちという完全勝利で、金メダルに輝いた日本を代表する柔道家、井上康生氏。表彰台の上で母親の遺影を掲げ、金メダルを授与された感動のシーンを思い出す人も多いだろう。
伝家の宝刀、電光石火、天才的など、さまざまな賛辞が贈られた、芸術的な内股を武器に、シドニーオリンピック前年の1999年世界柔道選手権100kg級、翌年の2001年全日本柔道選手権も優勝。23歳で柔道界におけるグランドスラムを達成した。そして、連覇を期待され、挑んだ2004年のアテネオリンピックだったが、まさかの途中敗退。2005年には、右大胸筋腱断裂の大ケガを負うなど数々の挫折も経験した。しかし、2006年の講道館杯優勝、2007年のフランス国際柔道大会100kg超級優勝など幾度となく復活を遂げた偉大な柔道家。引退した2008年まで栄光と挫折の両極端を味わってきた、井上康生氏の柔道人生。同氏は今、日本代表の監督として、選手を束ねる指導者になった。かつて世界の頂点に立ち、現在は監督として日本柔道を牽引する同氏。どんな心構えで日々を生きているのだろう。

 

重圧に打ち勝つために
覚悟をして、腹をくくる

—さすが、11年前に現役を退いたとは思えない筋肉ですね!
井上康生(以降、井上) いやいや、これは見せかけだけですよ。トレーニングはしていますが、いわゆる“見せ筋”。柔道はめっちゃ弱いですよ。

—そんなことは、ないでしょう(笑)。いよいよ、東京オリンピックまで残り1年になりました。柔道日本代表にとっても重要な時期ですね。
井上 そうですね。6月までは土台をしっかり作り、地力を上げるトレーニングをしていますが、7月からは実戦に向けた戦略や戦術も頭に入れながらの練習を始めようと考えています。

—焦りみたいなものはないですか?
井上 ジタバタしても仕方がないですから。1分1秒を大切にしながら、やるべきことを一つ一つしっかりやっていくしかない。今私たちにできることは、全力で日々の練習に取り組む以外に方法はなくて、焦ってもろくなことがない。覚悟して、腹をくくる。これが一番大切です。

—覚悟をもって物事に臨むのは、勇気がいることだと思いますが、井上さんは現役時代から、そういったスタンスだったのでしょうか?
井上 そうですね。苦しいときこそ顔を上げよう、前を向こうと、母親に常々言われてきたので、自然と覚悟できていたんでしょうね。悩んだり、苦しんだりするのは、誰しも必ずありますが、“過ぎる”と、良い発想が出てこなくなってしまう。ポジティブな考え方を持ちながら、冷静に臨むことで、良い結果を生み出すことができていたと思います。

—それでも、やっぱり勝負事にはプレッシャーってつきものですよね。
井上 プレッシャーは現役時代も、監督となった今もありますよ。ただ、それがものすごくストレスかというと、そうではないかも。昔から結構、細かいことを考えてしまう質ではあるんですが、良い意味で「こんなもんだ、そんなもんだ」って割り切れるんです。
よく、日本のお家芸でもある柔道の日本代表監督という立場は責任もあって大変でしょう?と聞かれることがありますが、それは大変ですよ。でも、それは監督になる前からわかりきっていることで、それが嫌だ、苦しいとかは思わない。監督になると決めた時点で、そういった大変さは想定内ですから。

 

目標達成の喜びはほんの一瞬
重要なのは、そこから何をするか

—井上さんの柔道人生で一番うれしかったことは、シドニーオリンピックでの金メダルですか?
井上 子どもの頃からの一番の目標だったので、うれしかったですね。ただ、その喜びに浸るのって数日ぐらい。もちろん、とてもうれしいことなんですが、それを達成できても、新たな目標が自ずと設定される。現役時代も現在も、それは変わりません。喜びは一瞬なんです。これはスポーツの世界じゃなくても、みなさんきっと同じはず。仕事でも普段の生活でも、目標を達成できた。じゃあそこから何をするか、ということが大切だと思います。新たな目標を設定して、そこに向けてまた努力をしていく。それを繰り返すことで、人は成長できると私は考えます。
柔道の世界で例えると、日本代表になることがゴールではなくて、そこから先が重要。人が遊んでいるときにひたすら練習して、みんなが美味しいものを食べているときに食事制限をしたり。国の代表として戦うわけですから、しっかり規律がある堅苦しい世界で生きなくてはいけない。これらは正直、とても苦しく、辛いことです。でも、人とは違う経験ができる。私は、それが自分自身を成長させてくれると、柔道を通して学びました。

—監督として、そういったことを選手のみなさんに伝えているのですか?
井上 私が代表選手に伝えることは2つあります。まず1つ目が、代表選手になれたのは、本人の努力の結晶であること。だから、まずは自分に誇りを持ってほしい。そして、2つ目が代表選手になりたくてもなれなかった人たちがいる。さらに柔道界は、たくさんの人たちのおかげで今があることを理解してほしいと伝えます。それだけで、選手たちは自分で考えて、動いてくれるようになるんです。だから、練習を休むのも選手の判断にまかせています。彼らが自分で考えて、休むというのなら、それが正しい。私の場合、学生時代や代表選手時代は「練習を休むのは言語道断」といった、一昔前の価値観の世界に生きていましたが、今はそんな時代じゃない。いわれたことをただするのではなく、自分で考えて行動に移す。この主体性が大事だと考えています。

—それは、ビジネスの世界においても同じことがいえますね。一方で、選手たちに手を差し伸べなくてはいけないときもあると思いますが、その場合はどのような対応をしていますか?
井上 アドバイスが必要だと感じた場合は遠慮せずに、思ったことをいうようにしていますが、基本は静観するスタイルですね。性善的な考え方かもしれませんが、私は選手たちを信じ、彼らの意思を尊重したい。でも、放任ではない。指導者として、悩んだり、調子を落としているのを見落とさないように、選手一人一人をしっかり観察しておくことも大切だと考えていますね。

 

考察するスペシャリストであり、
ジェネラリストでもあれ

—監督の立場になった井上さんが考える、一流になる人、抜きん出る人の特徴とはなんでしょう?
井上 強烈な個性、オリジナリティが大切だと思います。柔道の話しになりますが、私の場合、現役時代のストロングポイントは内股だったんです。ただ実際のところ、シドニーオリンピックの4年後のアテネオリンピックでは連覇を果たせなかったように、それだけでは世界の頂点には立ち続けることはできなかった。その一番の理由は私自身が、準備期間である4年間で考え方を変えられなかったことです。ストロングポイントをより際立たせるために、どうするか。それを考えることに注力しなかった。周りよりも抜きん出たい、一流を目指したいというなら、人の意見に耳を傾けて実践する素直さだったり、高い洞察力を持っていたり、極端な話し、なんでも良いので、自分ならではの強みってなんだろうって考察し続け、それを磨き上げていくのが良いと思います。人のマネしかできない、人の後ろを追いかけるだけでは一流になるのは難しいと、私は考えています。
また、短所とどう付き合っていくかも重要。短所がないなんて人は、まずいませんよね。であれば、その短所=自分の弱い部分をどれだけ少なくできるか。自身の弱い部分を、たとえわずかでも克服できたら、自分の自信になる。それは精神的な強さにつながると思うんです。短所を少しでもなくそうと努力をする人は伸びる。それは経験上、感じていることです。

—スポーツのみならず、ビジネスの分野でも世界で勝負する人が増えてきています。井上さんが考える、世界と相対するときの心構えがあれば教えてください。
井上 世界は広いですし、日々とてつもないスピードで変化し、進化しています。その変化に対応できる柔軟性がまず重要。そして、もう1つ大切なのが情報量だと思います。いかにして、いろいろな情報を集められるか、そしてそれを生かしていけるかが大切ではないでしょうか。なにかに特化したスペシャリストであることはとても素晴らしいことなのですが、現代社会においては、それだけではダメだと私は思います。一つでも良いので、みんなより秀でた技術があり、かつ、いろいろなことができるのが、私が考える世界で通用する条件。できることすべてがSレベル(最上級)である必要はない。柔道の話しに例えると、それぞれの技の精度を平均まで上げると、どんな技を仕掛けてくるかわからないから、対戦相手にとっては怖い存在になる。怖いと感じるということは、仲間になってくれれば、こんなに心強いことはない。柔道はもちろん、ビジネスの分野においても幅広い知識や技術、経験を有するジェネラリスト的な考え方が、これからは必要になってくると考えています。

インタビュー場所となったのは、味の素ナショナルトレーニングセンター内の、世界一の広さという1004.5畳もある巨大な柔道場。シーンと静まり返った無人の柔道場に現れた井上康生氏は、ひと目見ただけで、包み込むような優しい雰囲気を醸し出していた。TVで見ていた現役時代の活躍ぶりはもちろん、柔道日本代表を牽引する監督にまでなった偉大な柔道家だけに、気合の塊のような人だと気構えていた分、なおさら驚かされた。最初から「体は鍛えてはいますが、柔道はめちゃくちゃ弱いですよ(笑)」と、緊張気味の場を和ませてくれる柔和な人柄。おかげで、インタビューもすごく自然な流れで進めることができたことには感謝しかない。
なにを尋ねても、わかりやすい言葉で、素直に答えてくれた井上氏。「人の意見を素直に聞き入れ、それを実践することも強くなるためには大切」と話すように、監督という立場になった今でも、それが自然と身に染み付いているのだろう。長い柔道人生で、多くの栄光、そして挫折を経験し、それを乗り越えてきたからこその人格者。「練習は休むな」「日本柔道は勝ち方が重要だ」といった、古い価値観が当たり前の環境で、柔道人生を歩んできたであろう井上氏だが、柔道日本代表監督となった今、選手たちにその価値観を強要することはない。それどころか、世界中の柔道を研究すればするほど、そんなことをいっていては勝てないとも話す。しきたりや文化の「変えてはならない部分」は大切に守りながら、「変えるべきところは、批判を恐れず変えていく」という姿勢。そんな井上氏から感じたのは、これからの時代に必要な理想のリーダー像だ。東京オリンピック開幕まで1年を切った今、本当の意味で「変革を恐れない男・井上康生」のインタビューを届けることができる幸運を、とても誇らしく思う。

[ いのうえ・こうせい ] 1978年、宮崎県生まれ。5歳から柔道を始め、全国少年柔道大会2連覇など、幼少期より才能を発揮。東海大相模高校在学時には、山下泰裕氏以来、21年ぶりとなる高校生での全日本柔道選手権出場を果たす。卒業後、東海大学に進学。全日本学生体重別、講道館杯、国際学生柔道優勝など、数々の輝かしい成績を残す。そして、1999年世界柔道選手権大会100kg級優勝、2000年シドニーオリンピック男子柔道100kg級金メダル、2001年全日本柔道選手権大会優勝と、23歳にして男子100kg級の三冠王者に。2008年北京オリンピック代表の最終選考会であった全日本柔道選手権大会の準々決勝で敗退したのを機に、現役引退。同年12月から約2年間、スコットランドに留学し、欧州の柔道指導法を研究。2011年に男子柔道日本代表監督に就任。それまでの指導方法を見直し、科学的なトレーニングや他国選手の映像分析、他国の格闘技を学ばせるなど、さまざまな改革に着手。2016年、監督として初めて挑んだリオデジャネイロオリンピックでは、男子は金メダル2個を含む7階級すべてでメダルを獲得し、柔道王国日本復活を印象付けた。

BOND 編集部

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