九州・沖縄発 一流のオトナを諦めないあなたに贈るフリーマガジン変革をあきらめないオトナたちへ BOND

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松本浩和 インタビュー INTERVIEW

“若い人を評論家のように決めつけず、かといって寄り添い過ぎない距離感が必要。”

——BOND編集長の小栁と同い年の松本さんですが、『NO!!』と出会ったのはいつ頃ですか。

松本浩和(以下、松本) 『NO!!』に携わる前は、インドネシアのビンタン島というところで昼はテニスのインストラクター、夜はダンサーという生活をしていました。それを1、2年して、日本に帰ってきたんですが、日本のことが観光客から教えてもらう程度のことしか知らなくて……。当時は長野オリンピックもしりませんでしたね(笑)。だから日本の状況を知るために書店でいろいろと本を読んでいたんですが、そのとき初めて『NO!!』に出会いました。そこにサポートスタッフの募集が載っていたので、読んだ勢いでその日のうちに事務所を訪ねたんですよ。

——当時も今も『NO!!』では多くの若者、それも素人の方が登場しますが、どんなコンセプトを発信している雑誌でしょうか。

松本 一言で表現すると「一般読者“大量”参加型」の雑誌です。普通に暮らしているような人にもきっとドラマがあって、それを発信すれば面白いんじゃないかと。当時は誰もそこに目がいってなかったんですが、深く見れば生きている時間だけの想いや歴史に気付くことができるはず……というのが『NO!!』の根幹ですね。

——今年の11月『NO!!』台湾版を創刊されましたが、どんな反応がありましたか。

松本 台湾では、様々な雑誌から情報を得るという文化が、日本ほど成熟しない状態でインターネットが入ってきました。そういう背景もあって、雑誌の受け入れられ方が日本とは少し違うように感じます。感覚的ですが、情報誌というより小説などに近い存在なのかなと。日本では元気がないといわれる雑誌や書籍のビジネスチャンスは、そういう地域にあると私は思います。

——そんな『NO!!』の立ち上げから10年以上、20代前後の若者を見てきた松本さんですが、90年代後半と今の若者に違いは感じますか。

松本 そうですね。そういう違いを感じられるから(本を)作っているというのもありますね。具体的に感じた違いというと……今年の9月に大名で「大名祭2013」というイベントを開催しましたが、そこに集まった子たちはみんな真面目に学校へ通っていました。ただ、彼らの多くは学校の勉強こそが一番大事だと思っている。でも企業が求めている人材はそういう人ではなく、例えば大名で夜な夜な遊んで人脈を作っていたり、自分と違う世代ともコミュニケーションがとれるような人ですよね。そういうことに今の若い人たちは逆行しているように感じます。彼らは外に対する好奇心を失ってきているのかもしれませんね。それと、興味の対象が狭まっているようにも見えます。例えば音楽にしても、一つのジャンルの一部分だけを深く掘り下げて終わってしまう。ボクの感覚では興味のある音楽から、そのルーツや影響を受けたアーティストなど、ジャンルの垣根を越えていくのが普通なんですが……違うみたいです。ひょっとすると遺伝子レベルで興味を拡げる思考が弱まっているのかもしれませんね(笑)。

——それはより効率的な動きをするよう進化をしているとも考えられますが……。

松本 確かに部分的な見方をすれば進化ですね。ただ、生きること全体をみればそれは退化しているように思えます。

——ではそんな若者たちに対して、一つも二つも上の世代となるBOND読者たちはどう接していけばいいと思いますか。

松本 彼らの効率的で平均を良しとする考えを根本から変えるのはやはり難しいと思います。だからといって諦めてしまうと、彼らにいずれ支えてもらうことになる我々が苦労するでしょう。今は「若い人はこうだから……」と評論家のように決め付けるのではなく、自分たちも彼らと同じ目線まで降りて共感できる部分を探すことが必要。だからといって彼らの行動全てにうなずくのは違います。時には放っておいたり、説教したりしながら距離をもって見守らなければいけないのかなと。

——20代前後の人が未来への希望を持てるようにするためには、私たちのどんな姿を見せるべきでしょうか。

松本 若い人たちとの接点を作った上で、ボクたちは常に面白そうにしていればいいんじゃないでしょうか。彼らから「うらやましい」と思われる存在になればいいと思います。(BOND FUKUOKA 08掲載分)

[ 松本 浩和・まつもと ひろかず ]
1969年、熊本県生まれ。学校卒業後に就職した電機メーカーを4年で退職し、バックパッカーをしながらアジア諸国を巡った。その後、某リゾート施設と契約し、テニスのインストラクターとして20カ国以上のスタッフとマレーシアやインドネシアで働く。1998年に故郷・熊本に帰省。その時たまたま『NO!!』に出会い、サポートスタッフとして編集に参加する。2000年に『NO!福岡版』、2005年に姉妹紙「東京グラフィティ」の立ち上げに参加。2007年にはマガジンハウスにて「hanako」や「Tarzan」 といった雑誌の取材、制作に携わる。2010年にエヌオー出版に戻り、代表に就任。

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