九州・沖縄発 一流のオトナを諦めないあなたに贈るフリーマガジン変革をあきらめないオトナたちへ BOND

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奥田民生 インタビュー INTERVIEW

同年代で活躍している人は大人になって仲良くなりました。 みんな考えていることはいっしょだからね(笑)

——私個人的にもソロデビュー以降の(奥田)民生さんにものすごく憧れているんですが、今日絶対に聞きたかったのがファッションについてなんです。当時のロックスターはメイクも衣装も尖っていて“いかにも”という感じでした。そんな中、ソロデビューされた民生さんのファッションは、アイリッシュセッターと短パンとスウェットみたいなユルい御姿で……。あの格好はどんな意識の変革があっての結果なんでしょうか。

奥田民生(以下、奥田) そもそも自分に色彩センスやファッションセンスがあるとは思っていなかったんですよ。そういうところで周りと張り合っても仕方ないので、「家で洗濯できない服はやめよう」と(笑)。

——(笑)。

奥田 それと当時は、今よりも雑誌にも出ていたので写真に撮られる機会も多かったんです。ただ、元々(撮影されるのが)苦手でそれなのにユニコーン時代にやり過ぎたというのもあって、(撮影から)逃げるという気持ちからユルい服装になりました。それが今も続いているという。

——そんな民生さんの自然体なファッションは、民生さん以降に出てきたバンドにとって“普通”になっていますよね。

奥田 そうなんですよ、弊害ですね。ロックスターたるもの(笑)、もっとちゃんとしなきゃいけないなと……。みんながユルい側に来てもらうと困りますね。

——いやいや、弊害じゃないでしょ(笑)。そんなユルい雰囲気を感じる民生さんですが、実際は動きまくっていますよね。フェスの参加も多いですし。

奥田 フェスは気楽ですよ。

——でも、何万人もの前でステージに立っているんですよね、どんなお気持ちになりますか?

奥田 四千人を超えたらもう一緒ですね。半分が自分のことを知らないと考えれば、ことさら構える気も起こりませんし。あ、ただ球場でライブ(2004年に広島市民球場で行った弾き語りライブ)の時は、全員が自分のことだけを見ていると思うとイヤでしたね。バンドだと、観客はベースだったりギターを見てるに違いない!って勝手に思えたんですが、一人しかいないですからねぇ……ホント、イヤでした~。

——イヤでした~って! 「PUFFY」や「木村カエラ」のプロデュースをされたのも私にとっては意外でした。

奥田 ソロだったのでバンドの時にはなかった時間もありましたから、曲を作る活動もしようかなと。(当時は)自分の曲ばかりを作っていましたが、人に曲を提供するということは言い逃れができない状況なので真面目に曲作りをするだろうと思ったんです。実際そういうものなんですよ。誰かへの曲はその人が納得するまで頑張らないといけませんからね。そういう状況の方が頑張りますし、良い曲が生まれることも多いんです。

——奥田さんが真面目に曲作りをするというモチベーションということですね。

奥田 いやボクだって真面目な時は真面目なんですよ(笑)。

——あ、そういう意味ではなく(笑)。プロデュースもそうですが、民生さんは諸先輩をはじめとした多くの方とのコラボレーションやユニットの結成をされていますよね。

奥田 (井上)陽水さんとのコラボレーションは陽水さんからお話をいただいて実現しました。他の人もだいたいお話いただくことが多いですね。自分自身でグイグイ話を持ちかけるのは苦手なんです。人見知りですから。だから陽水さんみたいに半ば強引に(笑)話をしていただけると楽ですよね。

——差し支えなければ……同年代に活躍された同業者の方々との関係も教えていただけますか。

奥田 最近はもうみんな仲良しですね。

——ということは、昔はギスギスされていたんですか?

奥田 ギスギスというより当時はみんな忙しかったので、連絡を取り合うこともできなかったんです。それが40代ぐらいからですね。なんとなく情報交換ができるようになったのは。結局みんな考えていることがいっしょで。ギターのこととか、機材のこととか、カラダのこととか……。最近はメールのやり取りもしているので、今の方がみんながドコにいるのかけっこう知っているんですよ。大人になって仲良くなりました(笑)。

——そんな民生さんも今年50歳を迎えるわけですが、すごいスピードで変わっていく今の時代をどう見られていますか。

奥田 うーん、どうですかねぇ。ボクらは相変わらずバンドやったりしながらSNSなどの便利な道具を使っているわけですが、結局付き合うのは人と人。それは変わらないわけです。便利な道具を使えるという状況の中で、もしかすると人付き合いが苦手になっているのかもしれませんね。別にそれでも良いという人はいいんですが、そこに違和感を感じている人は……バンドでもしたらいいんじゃないでしょうか(笑)。

——民生さんの曲や歌詞は、急いで移り変わる今にいたってもブレていないような気がします。『風は西から』(2013年9月11日発売の25枚目のシングル)の歌詞も素晴らしかったです。

奥田 あれはオファーがあったからですね。

——えっ?、いや、それでも私たちリスナーは気持ち良く聴いています(白目)。

奥田 あ、だからオファーがあったからこそ、前向きな歌詞と曲ができたということですよ。何もない状態で自分からあんなこと言うやつは信用できないでしょ(笑)。だから(ボクは)オファーがあるときだけにしています。

——では最後に、これから民生さんはどんなことをしていこうと考えられていますか。

奥田 そうですね。仕事はもちろんやる気があるので今まで通りやりつつ、やはり時代の移り変わりが早いので、どんどんアイデアを出さなきゃいけないなと思っています。(BOND FUKUOKA 12 / BOND HIROSHIMA REGIONAL 02掲載分)

[ 奥田民生 おくだ・たみお ]
1965年、広島生まれ。1986年に広島で「ユニコーン」を結成。1990年には現SPARKS GO GOの八熊慎一、橘あつや、たちばな哲也とTHE BAND HAS NO NAME結成し、MINI ALBUM『THE BAND HAS NO NAME』をリリースした。1992年に1stシングル『休日/健康』をリリース。翌93年にユニコーン解散を発表する。1994年から本格的にソロ活動を開始、同年10月に2ndシングル『愛のために』をリリース。ファーストソロアルバム『29』と共にミリオンヒットとなる。その後、井上陽水とのコラボレーションやPUFFY、木村カエラのプロデュースでその才能を発揮。2009年には「ユニコーン」を突如、再結成させた。一方で故郷広島の市民球場や宮島・厳島神社で弾き語りライブを行うなど、地元愛を見せる場面も。2010年3月には「奥田民生ひとりカンタビレ」と題し、ひとりレコーディングライブツアーを行うなど、現在も独自の活動展開中。

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